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初冬の景色120141130


落葉の季節

このあたりの紅葉は赤は少ない、中間色の紅葉です。12月になると一気に落葉します。
そうなると我が家は落ち葉に埋まります。

あっ、へんな生き物が」道を歩いています。
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14日投票・・・日本のための国民主体の政治をして欲しい。

国が富むということは国民一人ひとりが富むということだろう。ひどい政治というものは猛獣の虎より恐ろしいと言われてきたが、自分の国の国民に向かい合うのではなくて他国(アメリカ)に従う政治では国民が豊かになるのは不可能だろう。

衣食住足りて礼節を知るという物語は、いまからおよそ2600年前のこと。中国の春秋戦国時代の斉(せい)という国の宰相であった管仲という人の話である。管仲は当時の斉の王様であった桓公(かんこう)を助けて、国内を統一し、斉の富国強兵を成し遂げ、ついには分裂抗争を繰り返す中原諸侯を再統一し、桓公を「覇者(はしゃ)」にならしめた名宰相です。

管仲は幼いころは家が貧乏だったが鮑叔という友達が出来た。ある時、管仲は鮑叔とともに商売を始めたが、鮑叔をだまして自分の取り分を多くしたことがあった。しかし、鮑叔は常に善意で管仲に接し、何も言わなかったという。

時がたち、管仲と鮑叔は実力をつけ国家を論ずるようになるが、王位継承争いに巻き込まれてしまう。とくに管仲は桓公の暗殺を企てたことから国を追われて他国・魯へ亡命せざるを得なくなる。

しかし、桓公は先見の明のある国王だった。自分がなぜ管仲から命を狙われるのかという理由を考え理解しようとしたからです。そして、斉と魯が戦になったとき、魯軍を攻める際、自分の命を狙った管仲を即座に殺そうということを表明する。しかし、ここで鮑叔(ほうしゅく)が上奏する。

「わが君が斉一国を治めようとするのであれば、私で十分ですが、もし天下の覇者になろうとお考えなら、なんとしても管仲が必要です。」とね。

桓公はこの意見を聞き入れ、桓公は偽って管仲を呼び出し、処分するふりをして登用しようとした。桓公は礼を厚くして管仲を向かい入れ、ついに管仲を宰相(さいしょう)に任じるのである。自分の命を狙った人物をここまで信任する桓公の度量の広さも察するべきだと思います。

管仲は国力を増すためには、国民が豊かになることが大前提であり、衣食住への憂いがなくなって初めて国民が人間らしくかつ正しく国家を論ずることができるという政策を推し進めた。

 「管鮑の交わり」ということわざがある。2600年を経て朽ちない管仲と鮑叔の友情のことだ。「史記」を著した司馬遷は、後年斉の大宰相となった管仲が語った言葉として次のようなお話を残している。


私は貧乏だったころ鮑叔とともに商売をし、
自分の取り分を多くしたが鮑叔は私を「貪欲だ」とは言わなかった。
私が貧乏だったことをよく知っていたからだ。
私はそんな鮑叔のためにある計画を立て、
失敗し鮑叔にも大いに迷惑をかけたことがあったが、
鮑叔は私を「愚かだ」とは言わなかった。
時の利不利があることを知っていたからだ。
私は3人の主君に使え、3回ともすぐ追い出されたが、
鮑叔は私を「賢明でない」とは言わなかった。
私が不運だと知っていたからだ。
私は3回戦争に従軍し、3回とも逃げ出したことがあるが、
鮑叔は私を「臆病者」とは言わなかった。
私に老いた母がいることを知っていたからだ。
公子糾が敗れた時、仲間の召忽は殉死した。
私は牢に入れられ恥をさらしたが、鮑叔は私を「恥知らず」とは言わなかった。
私が耐えしのんで生き延びることを恥とせず、
功名が天下にあらわれないことを恥としているのを知っていたからだ。
私を生んだのは父母だが、私を本当に知っているのは鮑叔だ。
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えんてつ

Author:えんてつ
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兵庫県の中山間地域に夫婦で住んでいます。
2015年3月に現役リタイヤ-しました。
これから先は未知の世界です。

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