大王グミ20150528

大王グミ
ユスラウメやジュ-ンベリ-と時を同じくして色付き始めました。

大王グミは熟すと甘酸っぱいなかに独特の渋味がありますが、熟していないものを口にすると
口全体が渋さで固まってしまいます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

賎が岳のこと

歴史好きの知人と賎が岳から奥琵琶湖をまわる機会を得た。社会人になる前年に普通自動車の運転免許をとったとき、運転がしたくてたまらなかった。そして弟所有の中古車で、このコ-スに近い道筋を弟とドライブしたことがある。あのとき季節は7月でわたしは学生として最後の夏休みだった。

最初は伊吹山へ車で上がる計画だったが渋滞が激しく進路を賎が岳から奥琵琶湖に変更した。当時の国道8号線はまったくの田舎道で何もなく、長浜の街中でどこか有名なところはないかと地元の人に聞くと、「賎が岳の散歩道もあるし、めんじょさんのお墓もあるさけ行ってみたら~」と教えてもらった。

賎が岳の遊歩道は、田んぼ道からスタ-トして途中から林道になっていた。登って降りるだけなら1時間ほどだった。途中から余呉湖が見えたり隠れたりしながら歩く。余呉湖は伝説の湖で有名だった。あれから40年たって今度はリフトで10分とかからず山頂まで上がった。そして運良くガイドさんの歴史物語が聞けた。そして40年前に余呉湖だと思っていたのは琵琶湖だったことに気がついた。

めんじょさんとは、鬼柴田とよばれた柴田勝家が賎が岳周辺で秀吉と織田家の後継を巡って戦ったとき、敗軍となった勝家を越前北の庄まで帰陣させるために身代わりとなって壮絶な討死をした兄弟「毛受勝助とその兄茂左衛門」のことだった。PC検索が出来るようになって「毛受」は「めんじょう」と呼ぶらしいことも知った。

身代わりと影武者は切り口が異なる。毛受兄弟は負け戦の流れのなかで主君を無事に居城まで帰陣させるための作戦をたて実現した。この作戦とは主君を説き伏せて主君に認められた戦略である。一方、影武者は城主が自分を狙う相手から自分を守るために戦にかかわらず置いたもので、毛受兄弟は影武者とは言い難い。

毛受兄弟の身代わりの討死のお陰で勝家はお市さんと三姉妹のいる北の庄城へ帰ることができた。自分の居城で最後の戦いができることは武人にとっては最上だろう。だから明智光秀が坂本城まで帰陣できなかったことは無念の想いだったろうし、本能寺の変のとき家康が堺から脱出して帰城に成功したからこそ歴史が変わった。

毛受兄弟のお墓は亀さんの背中にのっていた。勝家の敗北の最大の要因は「雪」だった。清洲会議では、勝家には政治力がなかったということを聞くが、織田家のために全てを捧げた人生であり、秀吉は織田家を滅ぼす策略だったといえるだろう。賎が岳の戦いで実戦デビュ-した七本槍の若者たちがその後の日本を制した。帰路、わたしたちの目に七本槍の旗が心地よい風に揺れていた。
プロフィール

えんてつ

Author:えんてつ
FC2ブログへようこそ!
兵庫県の中山間地域に夫婦で住んでいます。
2015年3月に現役リタイヤ-しました。
これから先は未知の世界です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる