先日、娘のお友達が来られて話を聞いていたら、「あざいお市マラソン」というのに参加するというので出身地を聞いてみたら大津市の人でした。このマラソンはフルマラソンではないらしい。またお土産がもらえるとのことでした。ジョギングが一般化して以来、全国各地でマラソンごとが盛んなようです。

わたしが青少年時代を過ごしたところは、びわ湖毎日マラソンの折り返し点だった。びわ湖毎日マラソンは春の日曜日に開催されていたので、折り返し点まではテレビで観戦して折り返し点に近づくころに自転車で見に行くというパタ-ンだった。1964年の東京オリンピックでアベベが驚異的なタイムで優勝した翌年にアべべがびわ湖大会へ来た。圧倒的な大差で折り返し点に来たとき、その黒さと動かぬ形相に子供心に普通の人ではないものを感じた記憶がある。

折り返し点付近まで走った選手たちはそうとう疲労していて、純粋に応援したくなる。外人さんを見ることがほとんどない田舎のことなので外人選手が多い時にはそんなことも楽しみだった。

印象に残っている選手では、まず貞永選手。ある年クラス全員で応援に行こうという先生の呼びかけで応援にいったとき、この貞永選手はマラソン完走40回目で月までの距離を走りのが目標だと先生から聞いて名前を覚えた。折り返し点に10位ぐらいで来たとき全員で大声で名前を叫んで応援した。片手を上げて振ってくれた。

寺沢選手もよく出場していて、子供たちの間で知名度が高かった。小股で走っているというイメ-ジがあって、あの走り方がよいと体育の先生が解説していた記憶がある。寺沢選手は勝つこと中心の自重派で子供心にすかん奴でした。

宇佐美選手は、野球帽を後ろ向きにかぶって走った。折り返し点で他の選手と足が当たってよろけたことがあったが、子供心にこれは一大事だと思った。夢遊病者のような・・・というテレビ中継の解説が忘れられない。

君原選手は、首を大きく動かして走るので見た目は非常に苦しいように見える。びわ湖では常連だったので人気があったのか、君原~という声援が飛び交っていた記憶がある。高校生のとき講演会に来られたことがあって、苦しい時には、次の電信柱まで・・・その次の電信柱までと自分を励まして走ったというお話を聞いた。

アメリカのショウタ-選手が優勝した年は、世界新記録のペ-スだったので声援もすごかった。もうすぐ折り返し点だというとき、ショウタ-選手はなんとコ-スを外れて草津川の堤防でウンコさんをした。せっかくのペ-スだったのにと残念に思ったが、それでもすごい記録だった気がする。たしかミュンヘン五輪で金メダルを取ったと思う。
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2015年3月に現役リタイヤ-しました。
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