寄せ鍋という言い方は、なんでも有りというか、上手い表現だと思う。
人間は雑食性の極みなので、寄せ鍋というより「いっしょくた鍋」がぴったりではないか。

さて、古いPCから出てきたもののなかに、その目的が自分でも思い出せないものがある。
自分のことでありながら、何ということだろうと情けなくなる。
ただ、読み返して、面白く思うものが多々ある。
その中のひとつに生物としての男女の違いを書いているのがあった。
内容はどうでもよいような話なのだが、それをメモしたきっかけが気になってしまう。




先日、モンキ-センタ-の飼育員の方のお話を聞く機会があった。きょうはその感想を書いてみる。

この世の中は雄雌の両性で成り立っている。もう少し厳密にいえば、無性であった太古の生物の時代は言い換えるとメスの性だけが存在していた。それが進化の中で有性に変化した。無性のメスばかりの世界にオスの性が作り出された。

無性で分裂を手段に増殖する生物は大胆な変化が起こりにくい。ということは、無性が有性に変化するということは相当ダイナミックなことだ。ただし、両性になると接近というか、出会いのチャンスというリスクがついてくる。そして、両性が接近して出会うときどちらがどう行動するのかという行動形態が生物ごとにそれぞれ違いがあるという。哺乳類の場合、オスは、オスをメスだと見間違うことがあるが、メスはメスをオスと見間違うことはほとんどないそうだ。

出会いのチャンスという意味では、生物学的には出会いが必要なのはメスの性のほうがウエイトが大きい。特に哺乳類のような移動距離が大きい生物にとっては、出会いは雄雌の個体数に大きく影響される。出会いの確立は活動距離と個体数の関数になる。

哺乳類の場合、メスという性は、種の存続のために、自分とは別の個体である胎児を自分の体内で育て上げる。出産後は、自分から独立して生きる新生児を、自分の身を削って育てる。メスは、覚悟の対象を守るために、他のすべてを捨てることができる。メスとは命がけの覚悟を本能的に求められている性だといえる。

さて、では進化の頂点に立つ人間ではどうだろう。高度に文明化された社会の中で生きるために女性が事件を起こすとき、ほとんどの場合は、裏側に男性の影がある。真実は闇の中にありながら、女性は「かわいそうな女」なのか、「したたかな女」なのか分からなくなる。しかし、一見矛盾しているように見える、それらすべてを兼ね備えているのが「覚悟を決めた女」の事件ではなかろうか。

「覚悟を決めた女」に比べると、最終的には自分の身を守ればいいだけの、「覚悟を決められない男」はなさけない。男には、自尊心を捨てることがとても難しい。「覚悟を決めた女」は、自分が守るべき対象のためならば、自尊心を簡単に捨ててしまう。「私が無知で未熟だったために事件が起こりました」、とか、弱い声で反省の言葉を繰り返す。しかし、事件の核心の事実について「事実は存在します」と断言したときに、それまでとは全く異なる毅然とした、何事にも動じない「覚悟を決めた女」の顔になる。

女という性は「弁解する性」だともいえる。 自分の身ばかりか、自分とは異なる個体である、子供も守らなければならない。安全を期すためには防御というか守備がとても大事になる。そこで弁解の達人になる。 この弁解は、男から見ればとても巧妙だ。周囲に目配りをし、どこからも攻撃を受けないように、細かく配慮する。しかし、核心に触れる自分の主張はきぜんとして押し通す。

その反面、男は「攻撃的、そして能動的な性」だ。自分の主張を大上段に振りかぶって、反論する相手を叩きつぶそうとする。その攻撃が自分に跳ね返って、自分の身が危うくなることがある。防御よりも攻撃が大事な男は、そのような可能性にまで気配りをしない。哺乳類の世界では、オスは子殺しをする。それは自分の遺伝子を残すためだと解釈されてきたが、単にメスを得るためだという考え方もされている。男は覚悟を決めて命を捨てるが、女は覚悟をして命を残す。基本的にメスは平和な生物だということだろう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

えんてつ

Author:えんてつ
FC2ブログへようこそ!
兵庫県の中山間地域に夫婦で住んでいます。
2015年3月に現役リタイヤ-しました。
これから先は未知の世界です。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる