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第65代・花山(かざん)天皇が19歳の若さで隠棲された所として「花山院」と呼ばれますが、正式名称は東光山菩提寺と言います。花山天皇は騙されて出家させられた悲運の天皇です。

東光山菩提寺は西国三十三ヶ所観音霊場の番外札所です。花山天皇が剃髪された元慶寺(京都)、巡拝創始者である徳道上人の法起院(奈良)、そして菩提寺の花山院、以上の3ヶ寺を特別札所としています。境内の法皇殿前の一段高い玉垣の中に御廟所があり、今でも巡礼者の列が途切れることはありません。

堂塔伽藍は天皇に仕えた源頼光が寄進しました。境内には三田市指定重要文化財に指定された「花山法皇像」があります。お寺は標高418mの阿弥陀峰山頂にあり、前庭から三田市街や瀬戸内海までも眺められます。紅葉の季節も素晴らしいですが、若葉が茂る初夏も一見の価値があります。

花山院と十二妃の墓
天皇を慕う女官11人が女人禁制で入山できず、尼になって山の麓に住みました。元女官の尼たちが寺までの山道を女人禁制とされる境界の所まで登り、琴を弾いてお慰めしたので、この参道の坂を「琴弾坂」、この地を「尼寺」と呼ぶようになったと伝えられています。尼寺の中央の丘に、皇妃の弘徽殿祇子と11人の尼たちの墓があります。
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こんにちは

若くして出家されたという花山天皇
一体どんなお気持ちだったのでしょう?

天皇を慕う女官たちの琴の音に慰められた事でしょうね。

全然詳しくありませんので、検索してみます~。
そしていつの日かこの地を訪れてみたいです。

No title

このところ、義経にハマっています。

では、源頼光は、どの位置にいるかとググってみたら、義経、頼朝とは、方向違いのようで、
把握できませんでした(^-^;

地理的に、歴史好きには、たまらないお住まいですね~!
私も、いつの日か訪れたいです。

Re: こんにちは

> 若くして出家されたという花山天皇
> 一体どんなお気持ちだったのでしょう?
>
> 天皇を慕う女官たちの琴の音に慰められた事でしょうね。
>
> 全然詳しくありませんので、検索してみます~。
> そしていつの日かこの地を訪れてみたいです。

きょんきょんさん、おいでやす♪
花山天皇はかなり派手なプレイボ-イだったらしいのですが、大好きだった女性が死んだことがショックで、そのことをうまく利用されて騙されて出家させられてしまったようです。

あっ、きょんきょんさんは、加古川方面だったでしょうか、こちらへおいでの際はご案内させていただきます♪

Re: No title

麦さん、こんばんは。

義経の源平の時代も面白いですね。

1183年のこと、形勢不利とみた平家は京の都から落ちて福原(今の神戸)で再起をはかろうとしました。
これに対して平氏追討の指令を受けた源範頼と源義経の率いる源氏軍は福原を目指して出陣しました。
源氏軍は福原にいる平家軍を東西から挟み撃ちにするために軍勢を二手に分け、福原の東を攻める範頼は西国街道を、
福原の西方を攻める義経は丹波路を進み、義経は2月初旬に篠山に陣取りました。

一ノ谷が決戦場となるとみた平家軍は一の谷を目指して丹波路を進軍する義経を迎え撃つため、平資盛らが播磨国三草山の西に布陣しました。
義経は三草山の東方に陣をとり、源平両軍が三里ほどの至近距離で対峙しました。
そして、義経は明日は決戦という前日に夜討ちを決行して勝利しました。
あの有名な一の谷の合戦の前日のことです。

三草山は、丹波路から播磨へ抜ける交通の要所であると同時に険阻な山と深い谷に囲まれた軍事的要衝の地で
平氏の勢力地盤の地であったので、平資盛は地の利があるこの場所を防衛拠点としたのだろうと思います。
いつだったか、江戸の歴史好きの方と篠山方面から三草山の麓を走ったことがありました。

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えんてつ

Author:えんてつ
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兵庫県の中山間地域に夫婦で住んでいます。
2015年3月に現役リタイヤ-しました。
これから先は未知の世界です。

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